網状言論F おたくにとっての〈セクシュアリティ〉の対立をスタートに。 東論ベース「動物化する集団行動」>「主体」のなさっぷりについて。 齋藤論「個人レベルの行動からの発言」< ■東発表 ---------- 1945-70 理想の時代 >連赤/物語の崩壊、大きな物語が虚構に。 70-95 虚構の時代 >オウム/「薬物にマインドコントロール」他 人間の「動物化」(機械化?) >世界的には社会主義の終焉。 95- 動物の時代 ---------- ◇物語からデータベースへ 深層的な世界観と「表層」の乖離 TVエヴァ26話>>二次創作の原作への「侵入」 ※でじこ着ぐるみ登場〜(笑) 「でじこってどうよ」発言 --------- 物語消費論からの議論 大きな物語を背景とした「切り売り」としての商品 ex:ガンダム、FSS ↓ (エヴァ以降) 大きな物語の消費から「データベース」のような萌え要素の組み合わせによる「商品」へ ex:顕著な例として「ノベルゲーム」 シュミラークルとしての「孤独な消費」 システムレベルの再構成による疑似社交的なNetWork>exMADムービー(DNMLもだろう。わかりにくいけど) ■齋藤発表 その1 ※なんかいきなり聞こえない〜 ■永山発表 「〈エロマンガ〉〈やおい〉読者のセクシュアリティ」 #エロマンガ規制について>10/31@loft エロマンガの「市場の動向」話。 ex:ばんがいち 女性作家による「エロマンガ」 男性作歌だが女性名/女性名だが男性名 とか>>>女性があたりまえの時代に。 エロマンガにおける「作者の性」の混乱という例外的な状況。 そこに描かれる「性行為」にたいしての姿勢のあり方。/エロマンガの読まれ方 なぜ「ポルノ」創作物をつくるのか。 エロマンガのスタイル。 エロマンガの分析 ユニットコミック>>性行為のみを描き、あとは読者任せ グラビアコミック>>「G-taste」など サンプリングコミック>>本来的なパロディの意味を失った「アニパロ」、「ゲーパロ」全般 マルチスクリーンバロック>>コマ割りの破壊された漫画 ex乱交漫画など(StudioAQUAの同人とかそうだなぁ) 「性同一性」なる問題 現状から読み取る。 マッチョな世界(マチズモ)の崩壊 フェティシズムの拡大、多様化 「ショタ」について ・「今のままの君」の肯定と同時に 作品の重層性 「女の子になりたい男性」>>脱出願望 ではなく 快楽的な仮想身体としての「女の子」 「描かれない」女性 仮想身体の 童顔巨乳のモード>>ロリータより「性的許容量」(=快楽)の大きい身体として ふたなり、ショタコンの連続性(おっぱいの無いShemaleとしてのショタ)>>吸収 植芝理一「夢使い」(講談社アフタヌーンKC)のショタとしての理想的な「姿」 ---------- ■齋藤発表その2 おたく的な消費におけるセクシュアリティ セクシュアリティの「対照性」 男性セクシュアリティ>所有である 所有の試みとしての同人誌、フィギュア など 男性による女性のヒステリー化について>> 反転としての「戦闘美少女」(トラウマの欠如/理由なく戦う) #萌え要素としての「トラウマ」(笑)はどうなんだろうなぁ。 形態の「実在」との乖離。 男性おたくの場合。 立ち位置を定位しなければならない。 その上で「持ちたい」 女性おたく(腐女子の場合) 「なりたい」欲望 としてのやおい。 --------- なぜ「少女」なのか。 宮崎駿における「美少女」>全体論へのアンチテーゼ 世界的には チャーリーズエンジェル/パワーパフガールズ/トゥームレイダー ■伊東剛 萌え>>断片化された人格への所有欲 萌えの「エンジン」 萌え、フェティシュ、感情移入の三位一体。 ex眼鏡っこ萌えの場合 マテリアルへのものなのか(フェティッシュ) 感情移入なのか 任意のフェティッシュと結びつき可能な「萌え」(フェティッシュと萌えは分離している) 90年代前半>まんがの超長期連載化 物語との時間の共有から「キャラクターと時間を共有する」読み方へ 時間的連続性によってキャラクターが成立する。 偽春菜に「漫画を書く」という行為。 エヴァと「良い子弱い子純粋な子」>「赤い鳥」の価値観 「無垢なもの」への感情移入 CutePrettyPityの使い分け 動物化への抵抗: 萌えフォビアの存在>それに由来する自虐性 自分の自己同一性が保証されない (物語の崩壊の一つ?) 「いまここ」の積み重ねとしての「人」>>分割された人間観/萌えへの途? 「無垢」は近代的な価値だが、残り得るのか。 ■竹熊発表「第一世代の証言」 第0世代>手塚治虫、渋沢龍彦 など おぼっちゃん/中流以上>>貴族階級(笑)としてのおたく 第一世代> 条件その1 高度経済成長 条件その2 70年安保とオイルショックによる物語の崩壊 シラケ世代 カウンターカルチャーの「ブーム」(ヤマトブーム@77年夏とか) 70年終わり〜アニメブーム多作だがはずれの多いの時期 '79 ガンダム(アニメファンのトレーダー分岐点) 以降、すこし持ち直す。 「ひどい作品」 密教、顕教 初期自覚的なおたく>萌えフォビア ・(苦笑)の根源 悪趣味なシャレ(カウンターカルチャー)としての「まんが」「アニメ」「特撮」>第一世代おたく シニシズム的にそのスタイルを継続 「本気」でおたくをしてしまう人の存在。 時間が〜(崩落 ■小谷発表 網状への感想。 おたくとは何かという問い>ジェンダー論との類似 ゃぉぃ女性はおたくに含まれるのか >おたくのジェンダーってなんだろう。 家や「場」への尊称としての「おたく」 60年代末には「おたく」はSFファンダムで使用されていた(昨年のSF大会) 「おたく」ということばの家庭環境への頻出 >高度成長期以降の建て売り住宅の普及の影響も?  家につく「母親」の影 「オタクキモチワルイ」論 おたくの行為>逸脱している/辱め>>女性嫌悪的な身ぶりを導入するか否か 小説系/批評系の文脈の乖離と同レベル。 戦闘美少女への感想。 ex:大塚英志「少女民俗学」>>拡張性の容れ物としての少女 おとめちっく少女と戦闘美少女の対比 「戦う女の子」の2種 1:男の子にあいされる戦闘美少女 2:超少女>>非少女としての「少年」から女性性を受け止めた超少女へ トラウマの問題(もとの問題提起) 上の1;トラウマなし 2;トラウマあり 1は実は少女の存在そのものがトラウマ。誰のだ?(笑)>>A:男の子のトラウマです。 ではなぜ「少女」なのか。 先ほども登場の「母親」の空虚さが憑依して戦闘美少女の「空虚さ」へ? 「おとうさん」がいない、家と一体化した母親と子どもとの「何か。」ではないか。 (ヘンリー=ダガーの話) ジェンダーパニックとおたく。 ■ディスカッション 小谷発表への齋藤氏の話。 東氏から齋藤氏へ Q:もちたいとなりたいの区別は曖昧ではないのか。 A:原理モデルとしての「もちたい」「なりたい」だから個人は無理。 伊東から小谷へ 母はジョーカーだよ(笑) 小谷から伊東へ 母子一体だと分かりやすいか。巨乳とか。<図証の由来論〜(C.F.) メラニー・クラインです(笑) 東から小谷へ その論の進み方では日本人みんなおたくになっちゃうのでは? じゃ、おたくのおたくたるゆえんはどうよ。 小谷から東へ 19cのファムファタールと「戦闘美少女」の関係性っていうのはどう?* なぜ、戦闘美少女という表象なのか?という。 *ファムファタール(femme fatale) 仏語。ストレートに訳せば運命の女性という意味。 映画評論などでは美しさで男性を惑わす女性キャラクターという意味合いも大きい。